| 1910(明治43)年 | 東京神田に生まれる。本名千代、後に洋子と改名する。 |
| 1928(昭和 3)年 | 女子美術学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部に入学。 |
| 1932(昭和 7)年 | 同校を卒業。 |
| 1933(昭和 8)年 | バウハウスの教育システムを取り入れていた新建築工芸学院に入学。同学院主宰者の川喜田煉七郎の紹介により『住宅』の編集を手伝う。編集者の仕事を通して、戦後活動をともにするさまざまな人々と出会う。 |
| 1937(昭和12)年 | 東京社(のちの婦人画報社)に正式に入社し、服飾関連の企画を担当する。 |
| 1940(昭和15)年 | 婦人画報編集部で、通信販売を企画し、「婦人画報サービス・ステーション」を構想する。 |
| 1942(昭和17)年 | 東京社を退社、銀座に「桑沢服装工房」を開設し、服飾デザイナーとしての活動を本格的に開始する。しかし戦時下にあって、この時期に発表された洋子の作品は勤労服、更正服の提案などであった。 |
| 1945(昭和20)年 | 10月に復刊した『婦人画報』に始まり、以後精力的に新しい生活のための洋服を、雑誌や講演会、ファッション・ショーなどを通して提案し続ける。 |
| 1954(昭和29)年 | 桑沢デザイン研究所を創立(ドレスデザイン科とリビングデザイン科の二科編成)。大丸百貨店東京店に「桑沢洋子イージー・ウエア」を開設し、以後既製服のデザインに積極的に取り組む。 |
| 1958(昭和33)年 | 服飾界のブルー・リボン賞といわれた、日本ファッション・エディターズ・クラブ賞を受賞する。 |
| 1962(昭和37)年 | ユニフォームの改善改良をめざしてNUC(日本ユニフォーム・センター)が結成。すでにいくつかのユニフォーム制作を手がけていた洋子は、以後多くの企業ユニフォームをデザインする。 |
| 1964(昭和39)年 | 東京オリンピックのいくつかのユニフォームを手がける。 |
| 1966(昭和41)年 | 東京造形大学を八王子に開学し、学長に就任する。 |
| 1970(昭和45)年 | 大阪万国博覧会のコンパニオン・ユニフォームを手がける。 |
| 1977(昭和52)年 | 4月12日永眠。享年66歳。 |